突然、吉井に告白がしたいと思った。
これといったきっかけはないように思うのだが、ちまたで話題の恋愛ドラマを見ている最中だったので、もしかしたらそのせいかもしれない。
いつもだったら自室に引っ込んでる時間だったし、そもそもテレビなんかほとんどつけない。それなのにドラマを見ていたのは本当にたまたまで、祖父の帰りが遅くて夕飯の時間がずれ、生活リズムが崩れたためである。
年寄りと二人の生活は毎日が規則正しい。高校から帰ると、時間通りに食事をとり、時間通りに机に向かって勉強し、時間通りに寝る。その通りにことが及ばない違和感をぬぐい切れず、思わず偶然目にはいったリモコンを持ってテレビの電源をつけてしまった。
目に飛び込んできたのは、最近めきめき頭角現わしているという若手俳優だ。そういえばクラスの女子が騒いでいたな、とついそのまま見入った。ドラマなんてちゃんと見たのは生まれて初めてだった。
さすが人気者だけあってずいぶん男前だったが、ドラマの世界では彼にも等しく不幸が訪れるようで、些細な理由で付き合っていた彼女に手酷くふられていた。
口汚く罵られ、頬を叩かれる。ちょうどそのあたりで告白がしたいと思った。そして十秒後にはしようと決めた。決めると、今すぐにでも行動に移さなければいけない気になった。
まず告白の方法だ。
直接言うのは、正直厳しい。そんな勇気はないし、ドラマの彼のように殴られる可能性がある。
告白して暴力を受けることも想定しなければいけないほどこの恋は絶望的だ。
ドラマでは相手が華奢な清純女優だったのでまだいいが、こっちはサッカーをやってるスポーツマンだ。細身ではあったが、ちゃんと筋肉はついている。吉井がひどい男だとは思わないが、同性から告白されるというありえないシチュエーションに頭が対処できず手が出たとしても不思議ではない。
だいたい、と冷戦に判断する。
直接言うのは距離的に無理だ。彼は夏休み中、親の都合で四国へと転校してしまったために、新幹線と鈍行を駆使してもたっぷり6時間かかる。高校生の身では運賃すらままならない。
どうして転校なんかするのかと詰りたくもなるが、転校をしなければ告白しようなどとは天地がひっくり返っても思わなかっただろう。しかし告白なんて危険な賭けをせざるをいけないのはやっぱり吉井の転校のせいだ。転校なんかしやがって。
吉井と自分は、そこまで仲がよかったわけじゃない。明るくて人当たりのいい吉井は、ほかのクラスメイト同様に自分を扱ってくれていただけに過ぎない。
それでもよかったのに、それだけではすまなくなったのは、最近だ。離れたら忘れられると思っていた男は昨日も夢の中に現れた。遠くから見ているだけで満足していた心は、遠くから見ることすら許されなくなった途端に暴走しはじめた。
吉井にとって、自分はその他大勢だ。サッカー部で放課後遅くまでグラウンドを駆けていた吉井の目に本ばかり読んでいる自分の姿が映ったのは、席が隣だったおかげに他ならない。自分は夢にまで見て、吉井を忘れられずにいるのに、きっと吉井は今ごろのんびりとした田舎で、新たなクラスメイトとサッカーにでも興じているのだろう。
特別に仲のよかった友人なら彼もときには思い出すこともあるだろうが、その他大勢のような自分ではそれすら記憶にとどまることすら難しい。そう思ったら泣きたくなった。泣きたくなって、そんなのは嫌だと思ったのだ。
吉井にどでかいインパクトを残してみせる。そこで思いついたのが告白だ。さすがに男に告白されれば記憶から消すのも難しいだろう。
しかし直接は物理的にも心理的にも難しい。となると、電話か、メールか。
番号もメールアドレスもなぜか奇跡的に携帯電話に登録されている。席が近いという理由で、向こうから申し出てくれたものだ。
電話は駄目だ、と、直接言う告白と同じ理由で却下する。相手の反応なんて知りたくない。思い出に残るだけでいいのだ。わざわざ冷たい言葉を耳に入れたくはない。
じゃあメールだろうか。メールは苦手なのだけれど、ちゃんと打てるだろうか。携帯電話を取り出しながら、はっと気付く。メールも駄目だ。返信を期待してしまう。でも返事がきては駄目なのだ。返事はいらないと書けばいいだろうか。
悶々としながら悩んでいるうちに、いい方法をひらめいた。
(手紙だ)
手紙だったら、完全にこちらから一方的な思いをぶつけるだけなので、自分としても気が軽い。引越し先を披露している場に自分もいたため、幸運にも住所のメモもある。吉井は国語は苦手そうだったし、返事を書こうなどとは夢にも思わないだろう。なにより届くのに数日かかるのがいい。
送ってしまえばこっちのものだ。もう、こちらに吉井はいないわけだし、向こうで笑い物にするならそれで構わない。いてもたってもいられず、急いで祖父の寝室へと向かった。
「じいちゃん! なにか手紙書くものちょうだい」
「どうするんだ」
「手紙書くに決まってる」
「なんだ突然」
「突然思いついたんだ」
きょとんとした顔のまま、祖父が棚から便箋と封筒を取り出した。この年にしてはいくぶん渋い気もするが、レターセットなんては持っていないので仕方ない。ごてごてした女の子用のものよりマシだ。
祖父から受け取るとすぐに部屋にこもり、手紙を書いた。書いては消し、消しては書いて、夜遅くまで作業を続けた。うまいこといかなくて、だんだん眠くなって、それでも書いてしまいたくて、最後は勢いで書きあげた。
文章に自分の気持ちを吐き出すことは恥ずかしかった。恥ずかしかったけれど、気持ちよかった。そうだ、自分はこんなに吉井のことが好きなんだと改めて分かって、目頭が熱くなった。
もっと話してみたかったし、できることならもっと仲良くなりたかった。告白なんてしなくても、吉井の記憶に残れる存在になりたかった。でもそうじゃないから、自分は告白をするしかない。
自分の感情によって生まれたそれを、引出しにしまった。その夜は、死んだように眠りについた。
***
『なにあれ』
携帯電話の画面を見つめる。着信もあったが、電話に出ることはできなかった。なにを言われるか予想がついたからだ。実のところ、一週間くらい、毎晩電話がきている。そのすべてを無視している。
しびれをきらしたのか、とうとう今日はメールがきてしまった。
(なにあれって)
告白だ。読んでわからなかったのか。サッカーばかりしているとは思っていたが、本格的に国語はだめらしい。
返事はいらないと書いたはずだし、そのまま捨ててくれると思っていた。迂闊だった。自分が吉井の番号やアドレスを知っているということは向こうも同じということだ。あちらは後ろ暗いことはひとつもないので、簡単に電話くらいかけれるだろう。
このまま、諦めてくれないかなと思っている。
告白に驚いたとしても、手紙で終わらせたこちらの意思をくみとってそっとしておいてくれるのが優しさじゃないのか、そもそも吉井が転向していったのが悪いのに、と、行動を起こしたのは自分のくせに、吉井に責任をなすりつけた。
ため息をついたのを咎めるように電子音が響いた。びくりと体を震わせてそのまま画面を見る。もちろん相手は吉井だ。ほとんど鳴ることのなかった携帯電話が、最近になって自分の役目を思い出したように、毎晩毎晩着信を知らせる。
このままずっと無視をしていればいい。そう思うのに、怖いのは名前を見た瞬間に声を聞きたくなってしまうことだ。声が聞けるのなら、ふられるくらいいいんじゃないかとすら考える。
ドラマの俳優が叩かれていたシーンを思い出す。もしかして、自分はああやってちゃんと振られたかったのか。はっきりと終わりをむかえたかったのか。思い出にだけ残ればいいなんて、綺麗ごとだったのか。
毎晩、電話は鳴る。ずっと鳴り続けてほしいと思う。このまま出ないで無視し続けたら、吉井はいったいどれだけの期間電話をかけてきてくれるだろう。その間は、吉井の頭の中に自分がいるということだ。嬉しいのだけれど、申し訳ない。
(腹をくくるか)
覚悟を決めた。一週間、時間をもらったと思えばいい。唇をかみしめ、震える指でボタンを押した。はい、という声はかすれていた。
『あ、出た』
拍子抜けするくらい間の抜けた声に、少しだけ肩の力が抜ける。それと同時に、体中に血が巡るのを感じた。吉井の声だ。本当に吉井だ。信じられない。
『よかったあ、もうすぐ切るとこだった』
安心したような笑いを含む声は、想像に反して柔らかい。実際、吉井の喋り方はいつも大らかで親しげなのだが、告白した手前、もっと冷たい声が聞こえると思っていた。記憶の中の吉井の声に違いない。そのはずなのに、悲しさがせりあがってきた。
告白したのに。好きだと書いたのに。どうして、なにも態度が変わっていないんだろう。
『どうしたんだよ、あれ、どういう意味?』
相変わらず、吉井は笑っているようだった。受話器を握りしめる手が冷たくなっていく。
「……どういう意味って? なんで、吉井は笑ってるんだ」
『え?』
「冗談なんかじゃない。ちゃんと読んだのか」
『よ、読む? え、冗談じゃないの? なにか隠れてんの? 流行ってんの?』
なに言ってるんだこいつ。戸惑った様子の吉井が憎らしかった。
「隠したつもりはない。ちゃんと書いた。全部書いた。冗談だと思って電話なんかかけてきたのか」
数秒、沈黙が落ちた。自分にとっては精いっぱいの告白だったのに、ちゃんと伝わっていないのがもどかしくて寂しい。なにかを考えている様子だった吉井が、ようやくぽつん、と呟いた。
『……もしかして、ちゃんと手紙を送ってくれたわけ?』
「なにを言ってるんだ」
とうとう泣きそうになったときに、『だって』と吉井が大きな声を出した。
『手紙きてないよ!』
「……………………は?」
なにを言われているのか分からず、へんな声が出た。手紙が届いたから電話が来たんじゃないのか。
『中、なにも入ってない。空だよ!』
思ってもみなかった言葉にしばらく固まった。ようやく意味を理解したときには勝手に手が動き、机の引き出しをあけていた。そこには、自分が完成させた感情の塊があった。
「あ」
『なに? あ、ってなに?!』
「中身、いれるの忘れた」
『はあ?』
間抜けな沈黙だった。
『なんだそれ。俺はてっきり、わざわざ封筒だけ送ってくれたのかと』
「なんのためにそんなことする必要があるんだ。まぎらわしい言い方しやがって」
『俺のせいかよ!』
「封筒だけ送られてきて変だと思わなかったのか」
『思ったよ! すげえ気になったからこうして電話かけてたんじゃないか。なにか意味があるのかと思って』
「そんなもん、どこに意味を見出すんだ」
『前田のことだし、わざとそういう形式をとったのかと思ったんだよ。なんだよ、たんなる入れ忘れかよ。意外に馬鹿なんだな』
馬鹿と言われてむっとした。これまで馬鹿だなんて評価されたことは一度たりともない。
『で?』
「は?」
『手紙の中身だよ。なに言いたかったんだよ、ついでに教えろよ』
「ばっ」
馬鹿じゃないか、こいつ。
「口では言いたくないから手紙に書いたんだろ。言えるわけないじゃないか」
『なんだよ、そんな大事なことだったら忘れるなよ。じゃあ、もう一回送れよ』
「もう一回……」
書きあげたときには一大傑作に思えたそれも、今では最初の一行すら読むのが恥ずかしい。手紙なんて、読みなおすものじゃない。
「嫌だ」
『は?』
「もういい。手紙のことは忘れてくれていい。すごくどうでもいいことだったんだ」
『口では言えないことって今さっき言ったじゃねえか』
吉井は不服そうだったが、完全に告白しようという気は失せていた。手紙には感謝したいと思う。こうして声を聞ける機会を与えてくれたから。
「悪かったな」
自分の勝手につきあわせた吉井に申し訳なく、心から謝って切ろうとすると、あわてたように「待った」をかけられた。
「なに?」
『いや、久しぶりだから。どう? そっちは元気?』
驚いた。まさか、世間話にもっていかれるとは思わなかった。いつまでも電話していては吉井の時間も携帯代ももったいないだろうと思うのだが、こちらの知り合いに連絡をとったのが久々なのか、いちいち近況を聞きたがる。
それほどクラスに親しい人がいるわけではないので、今のクラスがどういう状態なのか説明するのには苦労した。一時間近く、吉井は喋り続けた。
『ああ、もうこんな時間か』
その一言に、思わず時計を目にやる。もうすぐ日付を回ろうとしていた。
『なあ、前田は金曜の夜だったら空いてるのか』
もうすぐ会話も終わりだ、と寂しさを感じているときに突然そんなことを言われ頷く。金曜だけ特別に空いているのかと聞かれる意味が分からなかった。
『いや、ずっと電話に出てくれなかったから、塾で忙しいのかと思って』
「塾? 行ってないけど」
『えっ』
心底驚いているような吉井の声に怪訝に思う。塾に通っているなんて口にしたことは一度もない。通っていないのだから当たり前だ。
『行ってないのに頭いいの?』
「家で勉強するからだ」
『だって学校終わったらいっつもすぐ帰ってたじゃん』
「残ってたって意味ないだろ。それにうちは夕飯が早いんだ」
『じゃあ、夜は暇なのか』
「暇じゃない。勉強したり本を読んだりしている」
『……暇じゃないか』
来年は受験生だという者とは思えないセリフだった。
『じゃあなんで電話でないんだ。塾で忙しいからだろうと思ってたのに』
「あー…」
避けてたからだ。
もちろん言えるはずなかった。答えるのにためらっていると、受話器の向こうで軽いため息が聞こえた。『ま、いいけど』と言うノリも軽い。
『じゃあ、これからも電話していい?』
「ああ、……えっ」
『まさか、前田とこんなに話せるとは思わなかったな。んじゃ、今度はちゃんと出ろよ』
おやすみ、という言葉を残し、電話は切れた。呆然と固まったまま手の中の機械を見つめる。
顔が燃えるように熱い。電話でよかった。こんな顔、絶対に見せられない。
ピピ、という電子音に心拍数が跳ね上がる。メールの着信音だった。
――で、なんの手紙だったの?
口が緩むのが止められない。信じられない。吉井と話した。電話をすると言われた。
忘れるために手紙を書いたのに、ますます忘れられなくなった。吉井が電話をかけてくれるのが本当だったら、告白するなんて到底無理な話だ。
うるさい、と、打ち返し、ほてる頬に手の甲を当てながらベッドに寝転がる。
数分後、耳元で、電子音が響いた。
***
別名義でpixivに書いてたやつです。今はアカウント消しちゃったんですけど、もったいなかったのでこっちにもってきました。