頬をくすぐられるような感触に、意識が浮上する。
目尻をさすられ、あごのラインをゆっくりと指が滑る。くすぐったくてぎゅっと顔をしかめると、眉間のあたりをかさついた親指でなぞられた。
なんだ、ばか。せっかく寝てたのに。
俺にこんな風に触れてくる人間なんか、ひとりしか知らない。
誰かの気配がすぐそばですることがむずがゆく、重たい瞼に抗うように目をあけると、ぼやけた視界の中に日に焼けた肌が見え、かすかに潮の匂いがした。
「……祐?」
こちらを見ていた色素の薄い瞳と、ばっちり目が合う。
海に潜りすぎて色の抜けてしまった髪を一つに束ね、整った顔を惜しげもなくさらす祐にまぶしさすら感じて、おもわず目を細めた。
「おれ、ねむいんだけど……」
うつらうつらしながら、起こされたことに文句を言ってみるけれど、祐はそんな俺の言葉なんか聞いちゃいない。それどころか勝手に布団を持ちあげて、俺の横に潜りこもうとする。
「もー、ちょ、……なに」
「おれもねる」
「えー?」
無遠慮に俺のいたスペースに入ってくるもんだから、仕方なく壁のほうに寄ると背中にぴたりと額をくっつけられた。
普段から海に潜り体を鍛えている祐は、痛んだ髪の毛や切れ長の目やあまり動かない表情と相まって、見た目だけなら怖いヤンキーに見えるのに、こうして俺と二人になると、とたんにスキンシップが過剰になる。
大きな犬に懐かれたみたいで、悪い気はしないけれど、いったい俺のなにを気に入ってこんなにひっつきたがるんだと、腰に回された腕を軽く叩いた。
「離れろよ。お前、海のにおいがする」
「……この前も言われた」
「俺、泳げないから、海きらいなんだ」
「それも言われた」
「このまま寝たら、確実に夢で溺れる自信がある……」
「そのときは、俺が助けに行く」
だから大丈夫、なんて、普通の人間が言ったら臭くて噴き出しそうなことを真面目に言うもんだから性質が悪い。
ため息をついて、力を抜いた。くっつけられた体から、とくとくと心臓の音が聞こえてくる。
漁業がさかんな瀬戸内沿いの港町に引越して、もうすぐ三カ月が経とうとしている。泳げないし、魚も嫌いだし、海藻も駄目な俺にとって、この町への引越しはあまり喜ばしいものではなかった。かといって、引越しの理由が理由だったので、俺が文句を言える立場ではないのだけれど。
こうやって人と一緒にベッドの上で寝るなんて信じられないな、と思う。これって友達だったら普通なんだろうか。今までひとりも友達がいなかった俺には分からない。
転校の理由は、所謂「いじめ」だった。
半年くらい前まで俺は完全ひきこもりで、部屋から出ていけなくて、ひとりぐるぐるしていた。そんな俺を見た親が、環境を変えたほうがいいといって寄こしたのが母の実家があるこの町だ。仕事がある両親はそのまま、祖父の家で世話になっている。
この町について、新しい学校に通うってなったときは、絶望しかなくて、もしも今度なにかあったら死んでやるって思ってたし、登校初日にカツアゲされそうになったときは、こんなに早く死ぬ理由ができたと気が遠くなりそうだったけれど、そこを助けてくれたのが祐だ。
カツアゲから助けてくれたのは祐で、おれはただただ自分を助けてくれた人がいたことが嬉しくて、痛くないことに安心して泣き喚いただけだったのに、どうしてだか祐のほうが俺にべったりと懐いた。
普通逆じゃないか? と思うんだけど、どうなんだろう。
祐の傍は楽だ。
俺は、あんまり喋る方じゃなくて、言葉がなかなか口から出せないで、それがまた人を苛々させていたんだと思うんだけど、そんな俺に負けず劣らず祐も無口だ。
俺たちの間に言葉はあまりない。音楽も流さない。ときどき、窓の外から海の音が聞こえるくらいだ。
相手に気を使って、どうでもいいことを話さなくてもいい。どうでもいいことでも、話したくなったら話していい。大きな声を出さなくても、相手にちゃんと言いたいことが伝わるこの距離が、俺にとってすごく楽だった。
温かな体温に、くてっと力を抜いていたら、腰に回された腕がTシャツの隙間から入り込んできた。肌に直接感じる手の感触にぶるりと震える。
「……祐……?」
「晃」
耳元で名前を呼ばれ、ちゅ、と耳たぶに吸いついてくる唇の柔らかさに思わず頭を振って逃げる。大きな犬に懐かれるのは悪い気にはならないけど、明らかに過剰すぎると思われるようなスキンシップに、ときどき俺は戸惑う。
Tシャツの中に入り込んだ手がするするとお腹を撫で、胸のところをさすりはじめたとき、むずむずした感覚に慌てて祐の手を抑えた。
「それ、いやだ」
「うそ」
「うそじゃない。いやだ」
あんまりすると、嫌いになるぞ。涙声で訴えれば、いたずらな指はぴたりと止まる。
毎回言ってるのに、懲りずに何度も触ろうとするのはなんでなんだろう。
「晃」
熱を帯びた声に、熱くなった指先。
さっきよりもすこし大きくなった、お互いの心臓の音。
(あっつい……)
きっと、どっちも答えは分かっている。
同じ気持ちだって、知ってる。知ってるけど、言わない。
俺たちの間に、言葉はあまりない。
(でも、どうせだったら……)
どうせなら、「好き」という言葉で始めたい。
首筋に当たる吐息に、ぞくぞくする。
ぴったりと体をくっつけたまま、今日も俺たちの関係は変わらない。