5.
いつの間にか、実咲がやっているチョコレートのコマーシャルが冬仕様になっていた。
雪が降る中、実咲、いや、「ミキ」がベンチに座りチョコを食べ、そして遠くを見つめる。本当にただそれだけなのだが、雰囲気勝負だった以前のものに比べ、今回のCMにはストーリーがあるような気がする。
カレンダーは昨日から十二月だ。とくにおしゃれでもなんでもない卓上のカレンダーは、なにも予定の書きこまれていないまっさらなものだ。
『かわいい』
――あの日、キスをされたあとに耳元でそう言われ、思わず実咲の手を払った。
実咲の言葉に酔わされて、頷きそうになったのを、あのキスが現実に引き戻した。
宗太は自分をかわいいなんて思わない。簡単にキスをしたり、体を触っていやらしいことをしたくせに、ケロッとした顔で普通に接してくるやつの言うことなんか信用できない。それに、キスに抵抗しようとしなかった自分も信じられなかった。
「宗ちゃん?」
「帰る!」
怒りたいのに怒るのに慣れていないせいで言葉の出なかった宗太は、涙目になりながらそれを隠すために足早で玄関に向かった。着の身着のままでもかまわないので、帰ってやろうと思った。なぜか、ひどく腹が立ったのだ。
だが、玄関まで距離のだいぶあるところで腕を掴まれ、あっけなく引き戻された。
「そんなに焦らないで。ご飯くらい食べてってもいいでしょ」
「お前な!」
「宗ちゃんの分もあるよ。宗ちゃんと僕の、二人分を作ったんだから、宗ちゃんが食べてくれなきゃ、余っちゃうよ。食べ物を捨てなきゃいけなくなるよ。もったいないでしょ」
そう言って、流れるような仕草で椅子に座らされ、テーブルの上に朝食(すでに昼近かったが)を出された。ご飯に味噌汁、ほうれん草のおひたしにさばの塩焼きといった、純和風な朝食に驚く。なんとなく実咲の容姿だと朝からクロワッサンを食べていそうなのに。そもそも宗太自身が最近、朝ごはん抜きの生活をしているからか、朝食らしい朝食が並ぶテーブルが新鮮だった。
「さあ食べよう。お腹すいちゃったー」
お腹すいたなら先に食べていればよかったのに。宗太は別に朝食まで頼んでない。
そういう言葉はぐっと呑みこんで、ごはんをもそもそと口に入れた。別にお腹は空いていないと思っていたけど、食べてみたら箸は進んだ。
宗太の作ったみそ汁はおいしかった。
朝食を食べ終えると、見計らったかのように、宗太の服を持ってきてくれた実咲からそれを受け取り、のろのろと服を着替えた。その間、実咲は相変わらずぺらぺらとよく喋ったけれど、宗太は相槌も打たなかった。
気まずいと思うよりも先に、目の前に出されたものをすべて従順にこなしていった。そうしたほうが、この家を出るのに一番早い気がしたからだ。
とりあえず、この場所から逃げ出したかった。
帰る、と言うと実咲はわざわざ車を出してくれた。
断っても強引に引っ張られ、車に乗ってくれなきゃ帰せないと嫌がる。帰してもらえないのは嫌だったから、それならばと言葉に甘えた。駅まででいいという宗太の言葉を実咲はなかなか聞き入れず、結局は宗太のほうが折れた。
実咲に自分のアパートを見られたくないという見栄のために、少し離れた場所に止めてもらう。車を降りるときに渡された紙には電話番号が記されてあった。
「いつでもいいから連絡して」
絶対だよ、と言う実咲の言葉に、社交辞令で頷いた。あのとき、宗太は二度と実咲に連絡をとらない気でいたのだ。もう会うことはないだろうと思っていた。
合間に日雇いのバイトでしのぎながら、二週間ほど就職活動をしてみた。どこでもいい、と思っていたはずなのに以前よりも待遇のいい会社に目がいってしまうのは、自分とは比べ物にならない実咲の生活に触れてしまったせいだろう。けれど、条件がいい会社はもちろん応募者が多く、宗太のように取り柄のない人間はすぐにふるい落とされてしまった。
やはり贅沢は言わずにとりあえずはバイトでもしておくかと諦めかけたある日、家にわずかながら残していた金が消えた。泥棒よりもまず頭に浮かんできたのは、あのどうしようもない母親だった。
緊張で吐きそうになりながら電話をかける。そのときは出なかったけれど、着信に気付いた母は夜中に掛け返してきた。そして「ひどいじゃない」と言った。
「どうして家にいないの。困っているから助けてほしかったのに。いつでも力になってくれると言ったじゃない。宗太はお母さんが嫌いなの? 幸せになるのがそんなにいけないこと?」
母に強く言われると、宗太はなにも言えなくなる。昔からそうだった。
「引き出しにあったぶん、もらったわよ。もう、これ以上はないの?」
母が取っていったのは、当面の生活費だった。それ以上もなにもない。宗太が生活するための費用ほぼ全てだ。けれど、母の怒りを買いたくなくて、咄嗟に媚びた声が出る。「ごめん」と口走ったときは、自分でも信じられなかった。
「今はそれしかないんだ。助けてあげられなくて、ごめん」
いつからだろう。
母と話していると、宗太の意志とは関係のないところで口が動く。ころりと機嫌のなおった母はそれから二言三言話しただけで電話を切った。
「こっちこそ、いつも助かってるわ。お母さんの味方は宗太だけよね。宗太のおかげで、お母さん、幸せになれるわ」
柔らかな声音が耳から離れない。
一人なんだ、と思った。
自分にはなにもない。母も、仕事も、いろんなものが、自分の中から消えていく。そう思っていたら、最後にとうとう実咲の顔だけが頭に残った。
いつも、ふと思い出してはよりどころにしていた、子どものにおいをさせて自分にぴったりとくっついていた、記憶の中の実咲ではない。中学生の実咲もいつの間にか消えていた。
綺麗な思い出に住んでいた実咲も消えて、今、ただ一人残っているのは、王子様のように成長し、宗太に変なことをしてきた、大人の実咲だ。実咲が、たったひとり、宗太の記憶で笑顔を見せていた。
捨てきれず、机の上に置きっぱなしにしていた紙切れを手に取り、電話をかけた。けれどなかなか実咲は出なくて、思わず携帯電話を投げ捨てる。
自分は一人だ。きっとこれからもずっと一人だ。結婚なんて夢のまた夢だ。自分一人が食べていけるぶんだけ稼げればいい。見ず知らずの宗太にも優しい言葉をかけてくれた、あのコンビニのお兄さんともう一回会えたらいい。あの人でいい。自分に優しくしてくれた人なら誰でもいい。
けれど、二週間前に一度見ただけの人の顔なんか当たり前だけれど覚えてなくて、ひどく投げやりになっている自分に乾いた笑いが漏れた。
もう無理だ。なにもかもが面倒くさい。
やる気が起きずに面接の予定もすっぽかしてそのまま横になっていたら、チャイムがなった。無視しているのに、何度もなる。うるさい、と思い、寝っ転がった状態で耳を塞ごうとしたら、携帯電話がちかちかと着信を伝えていた。
まさか、と体を起こす。チャイムは相変わらず鳴りっぱなしで、何度も連打してくるからうるさくてかなわなかった。鍵なんか開いていないのに、がちゃがちゃとドアノブを回している。
まるで借金取りかなにかに追われている気分だ。外から見ている人は変に思わないだろうか。
覗き穴に映ったのは、やはり宗太が思い描いていた人物だった。
最終的に、頭の中にたったひとり、いついてしまった実咲が息を切らせ、肩を揺らしている。躊躇して、それでも鍵をあけたら勢いよくドアが開き、そのせいで額を強くぶつけた。
「痛っ」
「えっ、あ! ごごご、ごめん! 宗ちゃんごめん! 大丈夫? 血でてない?」
「だ、大丈夫、大丈夫だから」
慌てふためく様子に、宗太のほうが気をつかう。
「ごめんね、ごめん。っていうか、ねえ! 宗ちゃん、電話した? したよね? 電話してくれたよね? 今日! 今日の昼!」
「……した、けど。出なかった」
むくれるように呟けば、うわあ、と実咲が眉を寄せて困ったような顔をした。
「ごめん、すぐ掛けなおしたんだけど」
「いつでも呼べって言ったのに」
「ごめん」
「き、実咲が、呼べって言ったから」
涙声になるのを抑えることができなかった。様子のおかしい宗太に、さすがの実咲も不思議に思ったのか首を傾げる。
「……なにかあったの?」
先ほどまでの焦り声とは違った、優しいものだった。柔らかな声音にからめとられる気分だ。甘えてもいいんだよ、と両手を広げて待っている。
「か、母さんが」
俯き、それだけ呟いた。
酒が入っていなければこんなものだ。自分は理性でちゃんと物事の分別をつけることができる。普段だったら、母親のことなど人に言わない。マザコンだなんて、実咲以外に言われたことはない。
実咲はじっと、宗太を見つめていた。視線が痛い。黙りこくる宗太に、実咲がなにを思ったのか分からないが、ふ、と息をついたかと思うと、くしゃりと頭を撫でてきた。
はっとして顔をあげる。
「寂しかった?」
優しいだけじゃない、怪しい光りを宿した瞳が、潤んだように見えた。
空気が湿っている。広げられた両手に飛び込めば、もう後戻りはできない。あくまで優しく宗太の言葉を待っている実咲のことが、恐ろしく感じられた。
「僕は、宗ちゃんがいなくて、寂しかった」
宗ちゃんは? と、甘えた声が響く。
実咲の言葉で、全てがほろほろと崩れていく。
「……俺も」
実咲は、瞬きもしないで宗太を見ている。瞳に歓喜の色が光った気がした。
「俺も、寂しかった」
そう言った宗太の頭に、実咲が素早くキスをした。
抵抗もせず、うなだれる宗太の手を引いて、途中から抱きかかえるようにして、実咲の家へと再び連れてこられた。言われるがまま、アパートは引き払うことになり、通帳のほうにわずかに残っていた貯金を、母に送金した。
これで、宗太の持ち物はほとんどなくなってしまった。
ソファに茫然と座っていると、横から手が伸びてきた。誘導されるまま体を預けると、実咲に膝枕をされる形になっていた。満足したような笑みで、実咲が髪を梳いてくる。
「僕は、宗ちゃんがそばにいてくれるだけでいいんだ」
その言葉に、宗太は「うん」と頷いた。
(だからって)
こんな状態、許されていいのだろうか。破った一一月分のカレンダーをゴミ箱に捨て、掃除の続きを始める。
昨日、「おでんが食べたい」と実咲が言ったから、夕方から買い物に行かなくてはいけない。実咲が帰る時間はまちまちだが、遅くなるようだったら必ず事前に連絡をくれるし、残り物でも食べたがる。当然のように食事の担当は宗太になった。
すぐにでも仕事を探そうとする宗太に実咲は、焦らないでゆっくりするべきだと諭した。
「急がなくっても、仕事を始めたら嫌でもずっと働かなきゃいけないんだから。それに宗ちゃんはちょっと休憩するべきだと思うな。ちゃんと自分のやりたいことを決めて、慎重に道を選んでも遅くないよ」
そう言って、手にしていた求人誌をとりあげた。そんな実咲の言葉に救われたのは事実だったが、実咲に助けられれば助けられるほど、逃げ場がなくなっていく気がする。
やっぱり、広げられた手の中に飛び込んでいくことは危険だった。本気で嫌だと言うことができない。
実咲は優しい。怖くなるくらいに宗太によくしてくれる。嫌なことをされることなんかほとんどない。
好きに使っていいからと渡されそうになったカードだけは全力で断ったが、食費やその他消耗品を買うのに必要なお金は全て実咲が用意してくれた。引越し資金のために今はお金を貯めるべきだと実咲が言うからだ。
このままでいいとは思わない。実咲のマンションは意外にも居心地がよく、ずるずると居座っているが、早いところこの状態をどうにかしなくては、自分が駄目になりそうだ。
家事をこなし、家の主が帰るのを待つ。まるでこれは……。昨日のことが急に思い出され、耳が熱くなる。
相変わらず、実咲はスキンシップが多い。昔からベタベタとしてくる男だったが、今ではそれに加え、濃度も高くなっている。頭を撫でたり、背にくっついたりするどころか、テレビを見ながら腰に腕をまわして抱きしめたり、ひどいときには、いたずらに唇を重ねたりしてくる。
人との触れ合いはたとえ相手が男でも気持ちいい。いや、相手が実咲であるから、慣れている分、抵抗がないのだろう。ただ、ときおり、三日に一度くらいの割合で、じゃれつくだけの手が妙な動きをするのが嫌だった。
ソファで寝ると言った宗太の言葉は受け入れられず、実咲のセミダブルのベッドを二人で使っている。
後ろから抱きかかえられるように眠るのはまだいい。けれどなにかの拍子にスイッチがはいったとき、腰にまわる手が、胸の突起や下半身に触れてくる。変な声が上がって恥ずかしくてたまらないのに、だいたいがそのまま流されてしまう。
嫌なのに、嫌だと言えない。家賃も食費も払わず、ここに置かせてもらっているのだから、体を少し触らせるくらいなら我慢したほうがいいんじゃないかと思う。けど、なんだか、体で支払っているみたいで、変な気持ちになった。
食事の心配はしなくていい。ただ主人を待っては体を触らせる。そんなペットとして飼われているような暮らしが情けない。
夕飯の材料を買うため近くのスーパーに行き、帰りに求人情報誌も買った。テレビに出ている芸能人と暮らしていることについて、驚くほど宗太に影響はない。芸能人は宗太でなく実咲だ。実咲の顔に泥を塗るような、警察沙汰なり迷惑行為は許されないだろうが、そもそもそんな賑やかなことには縁がない。
おでんを作り終え、風呂に入り、ソファの上でくつろぐ体勢で求人情報誌をめくりはじめた。今まで観なかったテレビも、実咲のもとで暮らすようになって身近になった。だが、宗太が見たいのはコマーシャルのほうなので、番組自体の内容はほとんど頭に入ってこない。
コマーシャルに映る「ミキ」はかっこいい。あっきーに引けをとらないくらい、輝いて見える。なんだかんだ、宗太は、芸能人としての「ミキ」のことはかっこよくて好きだった。
うとうととしていたらそのまま眠ってしまったようで、誰かが頬に触れた感触で目が覚めた。目の前の端正な男の顔を確認して、片手で目をこする。
「寝てた……」
舌ったらずな言い方に、実咲は目を細めて甘やかすよう「まだ寝る?」と聞く。
「いや、起きる。……おでん、食べた?」
首を横に振る実咲に、ぼんやりとしながら、それでも「おかえり」と呟いた。
鍋を温めようとキッチンへ向かおうとしたら手を掴まれる。振り向くと、いきなりめがねを奪われ唇にキスをされた。舌を入れようとしてくるので驚いて抗うように口を結ぶ。これまで、いやらしい雰囲気の延長上でなく、色気もなにもない状態で、実咲がこんなキスをしかけてくることはなかった。それなのに、今日の実咲はしつこくて、宗太の頭を掴むと強引に口の中に割り入ってくる。
(怒ってる?)
口腔を蹂躙されながら、そんなことを思う。怒らせたら駄目だと冷静な判断がくだされ、宗太は抵抗をやめた。
「ん、ふう」
息が乱れ、がくがくと震える膝に体が耐えられず崩れ落ちそうになったら長い腕が腰を支えてくれた。あんなに小さくて痩せっぽちで女の子のようだった実咲が、今では、いくら身長差があるとはいえ一人の大人の男である宗太を、腕一本で支えてみせる。
「ふ、もう、みさきっ」
これ以上は無理だと、涙で潤んだ目で訴えると、ようやく唇を離してくれた。顔が熱くて、まともに実咲の顔が見られない。
「なに? 急に」
実咲のシャツにしがみつきながら呼吸を整えていると、熱っぽい目で覗きこまれた。
「これ、なに?」
指をさされた先にあったのは宗太が見ていた求人情報誌だ。別に隠すことでもなかったので素直に答える。
「仕事、……そろそろかな、って」
「なんで? もう少しゆっくりしなよ」
「でも充分休んだし、実咲に、悪いし」
「僕は気にしないよ」
実咲が気にしなくても、自分が気にする。
宗太はペットではないし、囲われた愛人でもない。
というか、実咲は宗太が休憩期間を設けることをしつこく勧めていたが、就職活動自体については応援してくれるものと思っていた。宗太のやる気がでるときを待ってくれているのだと思っていたが、どうやらそうではないらしいことに気付く。
求人情報誌を見る目はゴミを見ているようだし、そろそろ、と言った宗太に対して不満そうに眉を顰めている。
もしかして、こいつは家事をしてくれる人が欲しいんだろうか。でも、それは宗太ではなく、彼女や結婚相手の役目じゃないかと思うのだが。
不機嫌そうだった実咲の顔が、急に優しくなり、すりすりと頬を撫でられる。体は大きく、ところかまわずひっついてくるのは犬のようなのに、あっという間に表情を変えるのは猫を見ている気になる。気分屋だ。手の温度に、思わず目を細めた。
「肌、綺麗になったね」
「……え?」
「ふっくらしてきたし、健康に見える」
満足そうに笑った実咲だったが、すぐに真剣な顔に戻った。
「もう少し、さ。ちゃんと体重が増えて、体調が万全になってからでもいいんじゃないかな。体を壊したら元も子もないよ」
「……充分、健康だと思うんだけど」
「まだ駄目」
だからもう少しこのままでいよう? と耳元で囁かれ、頷くことしかできなくなる。
いたずらっぽく微笑んだ実咲は軽くキスをすると「おでん食べよ」と言って、宗太の手を引きテーブルに着かせた。そして自らコンロに置いてあった鍋に火をかける。蓋を開け、中を確認している男の後ろ姿を眺める。キスの余韻が残っているのが悔しかった。
「今日はなにやってたんだ」
「んー? 雑誌の撮影だよ」
実咲の仕事はファッション雑誌のモデルがほとんどだという。テレビはときおりコマーシャルの仕事がある程度で、知名度なんか全然ない、と本人は言うが、見せてもらった雑誌で「ミキ」はメインの扱いも受けていたし、チョコレートのCMはばんばん流れているし、とてもそうは思えなかった。
「やっぱり、実咲の作るものはおいしい」
箸で小さくした大根を口に運びながら、実咲がにっこりと笑う。本当かな、と宗太も続いたが、確かに味は悪くなかった。実咲はたとえ宗太が味付けを失敗したり、こがしたものであっても、おいしいと言って食べるので、あまり信用できない。
求人情報誌はいつの間にかゴミ箱へと消えていた。
小さくため息をつく。確かに自分は同年代の男に比べたら痩せているかもしれないが、きっと、体重は今が人生で最大に重い。これ以上どうすれば、実咲の合格ラインにいけるのか。食だってもともと細かったのが、実咲に言われて最近は三食きちんと摂るようになっている。
これで駄目なら、宗太が仕事を再会できる日はいつになるのか分からない。
食事を終え、ソファに寝そべりながら、先ほどの実咲の言い分について、うんうんと悩んでいたら、風呂からあがったらしい実咲に突然抱きかかえられた。突拍子のないことをするのはいつのものことだったので、驚きはしたもののとくにつっこみもせずに様子を窺う。
顔はにこやかだが、違和感がある。笑顔の裏にあるものを見極めようとするが、なにも分からないうちに寝室に運ばれた。ベッドに横たえられ、「え?」と思う間もなく、めがねを奪われた。
「今日は、もうちょっと先にいってみよう」
あくまでも爽やかに宣言して、実咲は、心の準備もできていない宗太にキスをし、平べったい胸に手を這わせた。
「ちょ、な」
何度も、何度も角度を変えてキスをされる。
他の人としたことがないから、比較のしようもないのだが、おそらく実咲はキスがうまい。これだけ男前だったら、過去にいろいろあっただろうし、思えば中学時代からスキンシップにおいては天才的だった。はっきり言って、気持ちいいのだ。
やけに強引に、空気をつやめいたものへ変えていこうとするので、頭も体もついていかなかったけれど、実咲のキスでだんだんと溶かされていく。舌が口腔を弄り、ちゅく、ちゅ、と音がする。
「んっ」
緊張がとけたころに、心臓の上に置かれていた手が動きだした。宗太のシャツをたくし上げ、突起へと触れる。
「そこ、嫌だ」
「うそ。気持ちいいくせに」
男の乳首が感じるなんて、実咲に触られるまで知らなかった。かりかり、と爪の先で遊ばれると、じん、と下半身が疼く。
パジャマのズボンが下着ごとずり下ろされると、すでに宗太のそれが勃ち上がりかけているのが見えた。乾いた指が先端に触れ、腰が震える。亀頭を撫でまわされて、たまらずシーツを握りしめた。
乳首を弄られながら、性器を扱かれ、気持ちよさに涙が出てくる。
「いや……っ、あっ」
上下に扱かれ、せりあがる熱が弾けそうになったとき、いつもだったらそのまま射精を促してくれる実咲の手が止まった。中途半端に高められた体を持て余しながら、涙でにじむ瞳を開けると、実咲が手のひらに収まるようなボトルを手にしているのが見えた。と、なんの前触れもなく膝を抱えられてしまう。
「えっ」
焦って抵抗しようとするものの、力では到底かなわない。固くなった性器を目の前で見られている、と思うと羞恥のあまり死にそうになる。
「いやだ、それは嫌、本当にいやだ」
泣きながら足を動かし、逃げようとするのに、実咲は許してくれない。安心させろように目を細めただけで、やめようとは言ってくれなかった。
どこかで、実咲なら本気で嫌がればいつでもやめてくれると思っていた、甘い考えが壊される。
「やだ!」
指の腹で、つん、とつつかれたのはあり得ない場所だった。
排泄物を出すところだ。そんなところ、触られたことなんか、生まれて一度もない。驚きのあまり、ぼろぼろと泣きだした宗太に、実咲はあやすようなキスをするが、手の動きは止めない。
いやだ、いやだ、と泣いていたら、窄まりのところへととろりとした液体が垂らされた。「ひ」とひきつった声が漏れる。ひやりとした感触に背中が震えた。
意図が分からないまま、口は勝手に「いやだ」と繰り返す。それなのに実咲は孔の周りを探るように指先でなぞった。むずむずとした感覚が怖い。知らないことをやろうとしている実咲が怖い。皺を伸ばすように、液体を伸ばすように動かされる指は、宗太にとって恐怖でしかない。
「指だけ」
はらはらと涙を流す宗太に、実咲もさすがに良心が痛めたのか、困ったように眉尻を下げ、いまさら許しをこう。だが、当たり前に宗太の返事は「否」だ。絶対に嫌だ。そこは、なにかを入れる場所じゃないし、第一汚い。
「気持ちいいから」
許可なんて出してないのに、くぷ、という音をたて異物が中に入ってきた。
「やだ、や、やだっ、き、気持ち悪……っ」
本来だったらなにか入ってくるなんてありえない。浅い部分を指で抜き差しされ、むずむずとした違和感に首を必死に振った。たった指一本に翻弄されてありえない。
泣いて嫌がる宗太に、実咲がここまで強引に進めるとは思っていなくて、なにもかもが信じられなかった。
内側をえぐるようにしながら、指が奥のほうへと入ってくる。じわじわと、孔を広げられる感覚に、足を閉じたいのに、実咲の体が邪魔して、それすらもできない。指の付け根が当たる。一本、入ってしまったのだ。実咲の、あの長い指が、全部入ってきてしまった。
「二本目」
聞きたくないことをいちいち言ってから、実咲は本数を増やしていく。液体のせいか痛さは感じないが、なにより違和感がすごい。
早く終われ、とそれだけを思っていたのに、実咲の指は、とうとう宗太の敏感な部分を探り当てた
「ああっ」
強い快感にのけぞる。痛みじゃないそれに、逆に罪悪感がつのった。
へんなところに指をつっこまれ、あまつさえ声をあげてしまった。そんな自分が嫌で、許せなくて、慌てて唇をかむ。それなのに、実咲はそういうときだけ目ざとくて、咎めるように唇を重ねると舌を絡めてキスをした。
その間に、いれられた指の本数が徐々に増えていく。快感に怯えて泣く宗太をあやしながらも、実咲は指を動かすのをやめなかった。
後ろだけではなくて、すっかり固くなって先ばしりを流すそこも扱かれる。
「ん、やだ、やめ、かきまわさな、で」
訴えても聞いてくれない。
こんな快感は知らない。こんなことをする実咲なんて知らない。
ぱっと視界が白くなり、実咲の腕の中で体が弛緩するのを感じた。際どい一線を越えてしまったような気がして、涙が止まらなかった。
実咲は「ごめんね」と繰り返しながら、ずっと宗太の髪を撫でていた。